
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:08:15.19 ID:MgWkd5Jm0
地方の局地戦は解るんだけど、天下人の大号令で動いて地方同士で連合軍になった
朝鮮の役、小田原城攻め、関ヶ原の戦い、大阪の陣
ここら辺りって同士打ちなかったの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/同士討ち
同士討ち、御方討ち、友軍相撃、友軍による誤射、誤爆は、武力を有した集団などが、友軍および同盟関係にある兵に対して、誤って攻撃をしかけ、損害を与える状況を指す(実戦のみならず、訓練中でも起こりうる)。また、作戦次第で敵の同士討ちを誘う戦法としても用いられる。
(元スレ:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1343581695/)
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:08:45.99 ID:gsp8hO8p0
あったよ
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:10:25.74 ID:hlMKHcM00
味方は頭上に名前表示されるから分かる
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:13:00.61 ID:2Jxa7ZUD0
味方には攻撃当たらないシステムになってるだろ
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:08:51.83 ID:Hyj3NGaD0
旗
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:12:49.51 ID:MgWkd5Jm0
>>3
旗っていっても、大人数で合戦してると前線では何がなんだけワケわからん事にならないのかな。
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:16:25.61 ID:gsp8hO8p0
西洋ネギは、ラッパスイセンとともに、ウェールズの国花・国章である。国花というが、西洋ネギの花ではなく、食用とする茎葉の部分が国花となっている。
ウェールズの守護聖人デイヴィッドのシンボルでもある。彼は、ウェールズの軍人に、戦場で敵味方の区別をするために帽子に西洋ネギをつけさせた。それにちなみ、3月1日の聖デイヴィッドの日(Saint David's Day)には、西洋ネギを身につける習慣がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/リーキ
リーキは、地中海沿岸原産の野菜。リークとも。意訳して西洋ネギ、ニラネギ、西洋ニラネギなどとも。また、フランス語名のpoireauより、ポロネギとも呼ばれる。
7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:13:58.57 ID:RZm3BjXAP
伊達さんなんて味方だと解ってて背後から鉄砲ぶちかましてたからな
http://ja.wikipedia.org/wiki/神保相茂
大坂の陣では300の小勢ながら水野勝成隊に属して勇敢に戦うが、5月7日船場口にて明石全登隊が越前勢左翼を攻め崩したために水野勝成隊は混乱に陥り、激戦の最中神保隊馬上32騎、雑兵293人が全滅し、相茂も討死した。
神保主従の死は、一説には、突如後方より味方の伊達政宗隊から鉄砲の一斉射撃を受けたためだともいわれる。この「伊達の味方討ち」に関しては、事件当時上方に批判的な風説が流れていたらしく、それを島津家の『薩藩旧記』が「伊達殿は今度味方討ち申され候こと。然りともいえども御前はよく候えども、諸大名衆笑いものにて比興との由、御取沙汰の由に候」と書き記している。
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:15:08.81 ID:MgWkd5Jm0
関ヶ原を上から眺めてた小早川なんて、正直にどっちが優勢か解らなかったんじゃないかな
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:18:45.18 ID:RZm3BjXAP
実際は大河ドラマみたいに揃った武器や鎧なんて着てないからな。
同士討ちなんて日常茶飯事だろうよ。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:21:02.69 ID:MgWkd5Jm0
>>11
やっぱそうなんか。そうだよな...
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:35:18.50 ID:RZm3BjXAP
それと合戦なんて8割りは敵前逃亡するって言われてる。特に野戦な。
10万vs10万規模の戦いの関ヶ原なんて死傷者はお互い合わせて1万人もいってない状況で勝敗がついてるし。
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:21:53.00 ID:BtHba9YF0
生きてる奴は敵
死んだ奴は味方もいたかも
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:52:40.65 ID:ZucGCtLV0
こっちに顔を向けてる奴が敵
全部撃て
って同志がいってた
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:23:27.78 ID:j62PPaek0
間違えて友達切っちゃったとかよくあったんだろうな
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:31:40.67 ID:uX7sNClnO
刀振りかぶったら後ろにいた味方に刺さっちゃったりしそうだよな
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:24:57.27 ID:MgWkd5Jm0
後さ 日頃から威張り腐ってる足軽大将をどさくさでぶっ殺したりとかなかったんかな
俺なら...
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:27:41.32 ID:hGNHOKo90
味方を殺ってる場合かよ
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:18:38.44 ID:q0a27vuc0
背中の鎧の緒に色の付いた布をくくりつけるとか本で見たような希ガス
12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:20:31.77 ID:MgWkd5Jm0
>>10
生きるか死ぬかの戦いで後ろに付いてる印なんて見てる暇あるのかな
殺した後で味方でしたとか...
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 04:09:54.29 ID:nj+YCSEFQ
兵士の装いと敵味方の区別について、
軍装に厳しい事で有名な北条氏の「諸武具調備定書」には
一、小旗、指物以下、古をは皆可致直事
一、鑓之箔可推直、并四手新致之、やりいかにも能々かくへし
一、うちわ為損をは皆致直、箔可推直事
一、諸武具何をも無不足、如定遺念無見苦敷様に、如何様にもけつこうに可致立、取分立物之金銀少も無古、光様に可致之事
一、はくのはけそんしたる鑓不可持、おしなをすへし、
一、やりして悉新あかく可致直、
一、つふれ皮笠きせへからす、箔悉おしなをすへし、
一、うちわ悉致直、箔可置
一、持小はた、さしこはた共に、或きれ、或ふすひたる不可持、
(要約:古いのは見苦しいので新しいものにしたり修理したりしなさい)ってあったり、
一、差物、四方地黒、いつれもあたら敷可致之事
一、立物、可為金銀事
一、弓かつきまて走あて、皮笠きせへし、御陣へわらはへ一円召連間敷事
一、手かい、如定可致之事
一、たて、長さ二尺五寸、ひろさ七寸あつさ五分のたて一まいつゝこしらへもたせへき事
一、差物さほにまき候事、堅致間敷候、はつす度にかわこへ可入、はをりをも平せいきさるやうにたしなみきせへき
(山口金次氏所蔵文書)
って備や衆(部隊)毎に詳しく決めてあるから一定の判断は出来たんじゃないかな?
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 04:10:48.18 ID:nj+YCSEFQ
武田勝頼の軍役定にも
一、烏帽子、笠を除て、惣而乗馬歩兵共に甲之事
・付、見苦候共、早々支度之事
一、乗馬之衆、貴賎共に、甲、咽輪、面頬当、脛楯、指物専要たるへし、此内一物も叙へからさるの事
・付、歩兵も、手盖、咽輪、相当に可被申付之事
一、歩兵之衆随身之指物之事
一、各一統之立物専可支度、若有恣之輩背下知者、為寄親之役相改、可行相当之罪科之事
一、別而馬廻衆立物、如定可為団之事
・付、小立物禁法之事
なんてあるし、穴山衆では旗指物だけじゃなくて兜も統一していた(佐野文衛門尉宛穴山信君文書)みたい。
徳川家康や武田信玄の使い番や赤備えなんかも有名だし、兵士の格好は結構しっかりしていて、旗や装い毎に結構見分けは着いたと予想。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:35:43.20 ID:hGNHOKo90
刀使ったのかな?
槍と弓と投石で8割死にそう
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:43:24.31 ID:MgWkd5Jm0
>>21
昔、専門の人から聞いた話だと戦国での一番の死因は弓矢らしい
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:51:31.40 ID:nj+YCSEFQ
槍って結構先進的な武器なんだよね
十五世紀中頃までは出てこなかったし
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 02:59:30.71 ID:MgWkd5Jm0
>>23
それ以前からあったんだけど「槍は女子供が使う物」って考えがあったんだと。
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 03:18:28.01 ID:RZm3BjXAP
槍術って女性が習うもんじゃなかったか
力の弱い女性でも槍持って複数囲めば勝てるみたいな
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 03:07:37.20 ID:nj+YCSEFQ
手槍のようなものは確かに前(南北朝頃という)からあったろうけど、女子供に使いこなせる武器ではないな
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/30(月) 03:36:43.51 ID:nj+YCSEFQ
そもそも槍には大きく分けて比較的短い手槍(持槍)と長柄の二種類があった。
このうち長柄は長いもので三間半(約5,4メートル以上)あって、それまでの馬上での打物戦から、戦国時代には並べて叩いて突き崩す集団戦が主流になって行った(軍役定などを見てみると大多数が長柄)のよ
1001:以下、名無しにかわりましてクズ吉がお送りします:2012/00/00(日) ID:lifehackest
その代わり勇気があるってことですごい名誉職だったらしいけど
逆に夜襲をかけるなら寝てる奴全員やっちまえばいいからわかりやすいのかも。
戦場ではやっぱり顔見知った仲間で集団行動しないとだめだな。
すなわち俺たちは……
鉄砲隊は隊長が指す方向に打ちまくる。
騎馬隊は上から傘を見て敵を突く。大将がいたら突撃する。
弓は大体の勘で距離を測って打ちまくる。
正直、大軍だと負けてるか勝ってるか分からない。
平和な時代が続いて武士が公務員化した江戸時代末期頃
だって合戦時には刀より槍のが数段有利だし使ってたはずだ
実際はそうでもなかった。
戦国時代における槍と刀はその目的が大きく違う。
槍は死なないための武器、刀は殺傷するための武器。
・槍は牽制と防御のための武器。
長さを稼いだぶん、移動能力、踏破性を犠牲にしてしまった。
・刀は直接の殺傷、攻撃のための武器。
両手でも片手でも扱え、移動・踏破性が高く、汎用性が高い。
両軍がほぼ互角の地の利でぶつかったとすると
互いに太刀を持った自軍をどうやって敵陣深くに少ない損害で浸透させるか?の戦いとなる。
飛び道具で頭を下げさせつつ接近し
前線では槍襖同士が押し合いへしあい叩き合い
どちらか崩れた所から太刀が浸透し瓦解させる。
そもそも敵味方の区別は、小勢で戦うケースが多かった戦国中期以前は、「顔見知りで味方と分かってる奴は味方、敵は敵」。
後期になると各家それぞれに旗指物、揃いの武具、保呂で識別する。
そもそも足軽は散兵でも、時代劇にあるような相互に突撃して乱戦なんてものでもない。
基本的には陣伍を組み、物頭(番頭)の下知で動く戦列歩兵に近い。
そうした状況では兵士個々の敵味方の区別はそれほど重要ではなく、騎乗士が識別できてさえいればいい。
どこでそんな頭の煮えたような妄想を覚えてきたんだ?
戦場における太刀は戦国期まで一貫して主武器ではない。
(真柄太郎左衛門のような例外はあるが)
基本的に日本は歩兵の兵装として槍あるいは矛が一貫して用いられ、その用途は敵兵や武士を押し包み、討ち取ること。
特に騎馬武者を倒せば軍勢を壊乱させられた時代において槍は十分攻勢的な武器だ。
そして刀は、槍もしくは弓をなくした場合の副次的な兵装にすぎない。
ルイス・フロイス「日本史」
・朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
・それは支那の策略であって、彼が武具を求めたのは、日本と同じものを造ろうとしているのである。
槍や薙刀についても言えるが、とりわけ、日本刀の威力に対抗できる鎧を製作しようとしているのだ、と言った。